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東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)181号 判決 1975年3月18日

原告 黒沢貞雄

被告 郵政大臣

訴訟代理人 近藤浩武 長島俊雄 ほか三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一  懲戒の成立

原告が昭和二七年一〇月一日に花巻郵便局事務員に採用され、その後郵政事務官に任用されて同局貯金課に勤務していたものであること、被告が昭和三九年七月二一日に原告に対して「懲戒処分として免職する。」旨の同月一七日付辞令を交付したことはいずれも当事者間に争いがない。

二  懲戒の事由

1  盛岡郵便局関係

(一)原告が昭和三八年一二月九日に同局職員らと共に同局庁舎内において集団示威行進を行つたこと及び行進終了後同局職員とともに同局局長室に入室したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合するとつぎのとおり認めることができる。

原告は同日午後七時四〇分頃同局庁舎二階食堂前で勢揃いした全逓組合員三五、六名とともに原告を先頭真中にして隊列を組み、同局二階から三階、三階から四階へと上り、四階裏の階段を下りて、同局会計課事務室に入り、同局庶務課の入口をとおり、ワツシヨイワツシヨイとかけ声をかけながらデモ行進をし、その際同局庶務課長、保険課長が、右のようなデモ隊が二階から三階へ上るのを目撃してそれぞれ二、三度中止命令を発したが、これに従わなかつたし、また会計課事務室に入ろうとした際同局会計課長が、これを目撃して入室を禁じたにもかかわらず、これに従わないで隊列を一列に崩して同課事務室に入り、ついに同課を経て庶務課入口を出てくる際同局庶務課長及び保険課長が、こもごも「庁内デモは禁止されているから、直ちに中止しなさい。」と命じたが、これにも従わず、さらに廊下に面した同局局長室のドアを勝手にあけ、ぞろぞろと同局長室に入室し、折しも局長室において局長、次長及び仙台郵政局から事務指導のため来局した郵務部訓練係長の三名が業務の打合せをしていたところであつたので、局長が「無断で入つては困ります。今仕事中であるから出て行つて下さい。」と退去を命じたが、これにも従わず、局長に対し、「職場の問題で話し合いたい。話合いに応じてくれ。」などと執拗に要求し、これに対し局長が集団交渉には応じられないとひたすら断つたが、かえつて「必ず会わねばならぬようにしてやる。」と捨てぜりふを吐いて出ていつたが、右のようにして約二〇分間に及んで同局における業務の執行を妨害した。

(二)  原告が同月一〇日に集配課事務室に入室したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午前八時すぎ集配課事務室に無断入室して集配課所属の外勤職員に向かつて何か声をかけていたところ、これを発見した同局庶務課長が原告に対して二、三度退去命令を発したが、これに従わないばかりか、室内にあつた補助椅子の上にあがつて「集配課の皆さん」と右職員らに呼びかけ、演説口調で中央の情勢報告を始め、その際同課長が「勤務時間中だ。作業の邪魔になるから出て行つて下さい。」と原告に命じたがこれを無視し、「庶務課長がここえ来て何かぶつぶつ言つている………」といいつつなお右報告を続け、そこで同課長が文書をもつて退去を命じたが、これに対して「管理者はこのようなことをして俺たちの行動を妨害するんだ。闘争はますます長くなるけれどもがんばつて下さい。」などといつていわゆる報告演説を午前八時二〇分頃までかかつて続行し、ようやく同四六分頃にいたつて出て行つたが、その間右のようにして同局における業務の執行を妨害した。

(三)(1)  労務連絡官佐藤利夫が同月一一日に局内マイクを使用して郵政大臣訓示を放送したこと、同局職員がこれに抗議したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合するとつぎのとおり認めることができる。

原告は、同月一一日午後三時二〇分頃同局長が佐藤労務連絡官をして局内マイクを使用して郵政大臣訓示を放送させていた際、血相をかえ、息をはずませて庶務課事務室にはいり、「お前何をやつているか。」などと大きな声をあげ、折しも放送中の佐藤連絡官のそばへ行き、全身で掩いかぶさるようにして、体で同連絡官を押し、その耳元に大声で「お前何をしているか。それがお前の仕事か。」とどなり、同連絡官がマイクをはずし、手のひらでこれをくるみ持ち、向きをかえて原告の声がマイクに入るのを避けるようにしながら放送を続けるや、左側から壁の方へぐいぐいと同連絡官を押し、その際そばにいた組合員の岩城が「庶務課長、そういうことは今まで慣行にはないんだ。」「なぜそういうことをさせたのだ。」、「そういつた申送りはないのか。」などと庶務課長に抗議したりなどして、マイクの声はきこえなくなる一方庶務課事務室にだんだんと人が入つてきて五〇人程にもなつて混乱する中でともかく放送を終つた同連絡官に対して「お前は何ということをする。」「この混乱の責任はお前にあるぞ」などと大声できめつけ、これに対し、同連絡官も「盛岡局兼務の佐藤が局長の命令によつて、局のマイクを使つて郵政大臣の訓辞を放送して何が悪い。」「混乱の責任は書記長自身ではないか。」ときり返したので、一瞬たじろいだようであつたが、気を取り直して「この野郎、タンカをきつたな。」「何をいうか、大臣訓示は紙に書いて壁に貼ればいいんだ。労務連絡官がマイク放送するというのは、これは問題だ。地本を突き上げる。」といい返し、そこで同連絡官も「紙に書いて貼ろうがマイクで放送しようが組合には指図を受けない。」とはねつけて自席へ戻ろうとするや、さらに同連絡官を追いかけて、同連絡官の左後方から二度ばかり体でぐいと同連絡官を押しながら「お前はこの局で一番悪い。」「いつかやつてやる。」などとおどし、その際居合わせた中島主事が原告に対して「押しては駄目じやないか。」とたしなめるや、「押してはいない、押してはいない。」といいながら、同連絡官から遠ざかつていつたが、このようにして午後三時二〇分頃まで同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用しない。

(2) 原告が同日職員とともに、同局庁舎内において集団示威行進をしたこと、及び同局職員とともに局長室に入室し、局長に対し、労務連絡官をして大臣訓示を放送せしめたことについて要求をしたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>と弁論の全趣旨を総合するとつぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午後五時二二分頃同局職員約一〇〇名をもつて原告を先頭中央にして三列縦隊を組んだデモ隊をつくり、同局庁舎の二階から三階へ上つていつたが、そこで同局庶務課長が「庁内デモは許可していないから、直ちに中止しなさい。」といつてその中止を命じ同局会計課長や次長も同旨の命令を発したにもかかわらず、これに従わず、二階から三階、三階から四階、さらに四階から三階とデモ行進をおこない、庶務課の前の廊下を通り、閉ぢてあつた局長室のドアーを勝手に開けて約八〇名で局長室にはいつて室内を満たしてしまい、その際局長から「無断で入つては困る。出て行つて下さい。」と退去を命ぜられたが、かえつて同局長に対して「小包増区についての話合いを局長が拒否したのについて見解を聞きたい。これまでの慣行を破つて労務連絡官にマイク放送をさせたことについての見解を聞きたい。」といつて右退去要求を無視し、局長が「見解を述べる必要はない。どうか皆さんお引き取り願います。」と応じ、さらに居合わせた次長、庶務課長が交交口頭で退去を求め、ついに局長が午後五時三四分文書で原告に対する退去命令を発するにいたるまで、退去を肯んぜず、かくして約一二分間同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用しない。

(四)(1)  原告が同月一二日集配課事務室に入室したこと、退去要求を受けたこと、及び局長に対し、大臣訓示の局内放送について抗議したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合するとつぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午前八時頃集配課の休憩室の方から事務室内に無断入室して「昨日の態度は何だ。」「今日郵政局から弾圧にくる。おかしなのが三、四名いる。」「出勤の五分、一〇分遅れるのが何だ。みんな並んで出勤簿には、時間になつてから判を押しましよう。」などといいふらしながら事務室内を徘徊し、その際同所巡回中の局長が原告に対して「黒沢さん、集配課事務室から出てください。」と退去を命じたが、これに従わず、同室内の道順組立台の方へ向かつて歩きながら、集配課員に対し、指示する権限がないにもかかわらず大声で「遅れたものから先にやりなさい。」といい、その場に居合わせた佐藤労務連絡官が、「そんな指示をして貰つては困る。局長が出るようにいつているんだから出て下さい。」といつたところ、「出るも出ないも俺の判断でやる。俺の勝手だ。」といつて出ることを拒み、その後間もなくして集配課の休憩室に出入したあと局長に対して「マイクの放送はあんたの責任によるものか。しかも時間中ではなかつたか。今までの慣行を無視したのではないか。掲示だけでいいんじやないか。この問題については徹底的にやるぞ。」といい、これにはとりあわずに「兎に角黒沢さん、集配課事務室から出て下さい。」などと度重なる局長の退去命令にも応ずる気配を示さず、さらに佐藤連絡官がたまりかねて原告のそばへ行き「黒沢書記長、局長が出なさいといつているんだから、あなたは出るべきだ。」と注意したところ、同連絡官に対して「何をこの馬鹿」といつて罵声を浴びせるなどして、午前八時二九分に集配課の部屋を離れ去るまでの間同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用しない。

(2) 原告が同日貯金課事務室に入室したこと及び倉内課長に抗議したことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実、<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午前八時三〇分頃貯金課事務室に無断入室し、その際貯金課長が原告に退去を命じたが、これに従わず、同課長席のそばにある応接椅子に腰を掛け、同課長に対し「きのうの朝、窓口事務室で、大きな声で俺に退去を命じたことについて謝罪しろ」と申し向けて抗議をし、やがて同課職員遠藤、昆、橋本らが自席を離れて同課長に対し「窓口の欠務がある。その補充をどうするんだ。課長、お前出ろ。」といい、これに対して同課長が「そのことについては、あとで命令するから、今は勤務時間中でもあるし、あなた方は、自分の席へ戻つて仕事をしなさい。」と就労を命じたところ、その就労を肯んじない右遠藤らと一緒になつて、同課長に抗議を続け、ついに庶務課長が文書による退去命令を読みあげてこれを原告に手渡そうとするや、これを受け取ることを拒み、さらに労務連絡官から退去をうながされたのにも強く反撥したりして、午前九時すこしすぎまでの間同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(3) 原告が同日三階の庶務課事務室において、職員数名とともに、庶務課長に対し抗議を行なつたこと、その際原告に対し退去の要求がなされたことは、当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、庶務課長が同日午前中同課員に対し、年末のボーナス支給事務を取り扱うよう業務命令を発し、同日午後〇時三〇分頃局長室で局長、次長に右の業務命令につき報告をしていた際、金子主事から組合から話合いをしたいとの申入れがあつた旨を告げられ、これに対ししばらく待つように金子主事を通じて伝えたにもかかわらず、同四四分頃他の組合員らとともに突然局長室のドアをあけて無断で同室内に入つてくるなり、「いつまで待たせるのだ。」とどなり、同課長が「もう五分くらい待つてくれ」と答えて自席に戻つたところ、まわりには二〇名位の組合員がいたので、同課長が「このような大人数では話はできないから、庶務課から退去して下さい。」と退去を求めていた際、「管理者は自分たちだけ手当を貫うのか、俺達だつてほしいんだ。」といつて同課長に抗議し、同課長が原告に対して「事務室から出て行つて下さい。」といつたが、これに従わず、ほかの組合員らと交交抗議をくりかえし、あとから加わつた者を合わせ約三五名の者が口口に「そうだ、そうだ」と騒然となつて、庶務課長がこれに対し「私は、庶務課長としてこれは自分の任務であり、やらなければいけないのだから、計算して出させる。このようなことでは話をすることもないから退去して下さい。」といつて、数回退去を命じ、それにもかかわらずわいわいいつているのをみて佐藤労務連絡官が、自席の方から歩いてきて「それは間違つている。庶務課長として当然やらなければならない仕事なんだ。」と口添えをするや、「なんだ、出しやばつて。何もいうことないんでないか。」といつてその場を騒然とさせ、しかも同連絡官に顔をくつつけるようにして体で同連絡官をぐいと押しながら「何だ。お前は。いつも何だかんだ口を出してくる。」「お前はごくつぶしではないか。」と罵り、傍でこれをみていた中島主事に対して「何をみているか。そばについてくるな。」といつて同人の体を自己の体で押したりなどして、同一二時五〇分すぎまで同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用しない。

(五)(1)  原告が同月一三日集配、保険、貯金の各課事務室に入室したこと、原告が退去要求を受けたことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合するとつぎのとおり認めることができる。

原告は同日午前八時すぎ集配課事務室に入つて「勤務でない者集つて下さい。」と呼び掛けた。その際同事務室にいた局長が「黒沢さん、集配課事務室から出て下さい。」と命じたが、原告に退去する様子は見えず、かえつて集配課長に対して集団で抗議を申し込もうとするような気配が見えたので、これはいけないと思つて文書に記載した退去命令を読み上げて原告に手交しようとしたところ、原告は右の文書を受け取らず、「そんなに退去して貫いたいならば警察でも呼べ。」といい、なおも局長が右の退去命令書を原告に受け取つて貫いたいものと考えて右の命令書を、集配課長の前に立つて両腕を組んでいた原告の両腕の上へのせようとしたところ、その受領を拒んで右両腕をぐつと上げ、これによつて命令書が原告の顔か肩に当たつて下に落ちるや、「俺に命令書をぶつけたな、俺は受け取らんといつているんだ。」といつて、局長から「いや、ぶつけない。出て下さい。」といわれても、なお「ぶつけて何だ。公文書を顔にぶつけていいのか。」といつて局長の前面に立ちふさがり、胸と腹で局長を押して同人を二、三メートル後退させた。そこで押されながらも局長が「黒沢さん、集配課事務室から出て下さい。」と重ねて命じたところ、原告は、「文書をぶつけていて出ていけとは何だ。今闘争中だ。」「闘争中に管理者のいうことをいちいち聞かれるか。馬鹿。」と罵り、ついに局長が「馬鹿とは何だ。」といい返して周囲が騒然としてくるや、脇で見ていた佐藤労務連絡官が近付いてきて「黒沢君、ひどいことをいうじやないか。局長が出て下さい、といつているんだから出るべきだ。」と原告をたしなめたが、「お前は何だ。」といつて鉾先を同連絡官に向け、同人から「局長を防衛している。局長を暴力から守つているのだ。」といわれるや、「暴力とは何だ。防衛とは何だ。」といいながら退去しなかつた。そうこうするうち原告に押されて特殊郵便物受渡口の台に背中を押しつけられた局長が背中が痛くなつてきて体をずらしたが、原告が前面をふさぎ前と同様に押すのでなかなか脱出できずにいたところ、同連絡官が「それこそ暴力ではないか」といつて原告を詰るにいたるや、ようやく原告は「押さないんだ。押さないんだ。」といいつつ局長から若干離れ、その後は同所を徘徊し続け、その間庶務課長が文書で、局長が口頭でそれぞれ退去要求をくりかえしたが、これには従わず同八時二九分頃休憩室の方へ引き揚げるまで同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(2) 原告が同日職員とともに同局庁舎内で庁内デモを行つたことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実、<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午後五時九分頃局員五〇名位を指揮して三列縦隊の最前列中央に位置し、庶務課長の中止命令に従わず、庁舎二階から三階、三階から四階、四階から再び三階へと集団示威行進をしたが、午後五時一一分頃会計課、庶務課前を通つてそのまま局長室のドアをあけて無断入室し、局長がすかさず「無断で入つては困る。出て行つて下さい。」と命じたが、これに従わず、同室の椅子に腰を下ろしたり上げたりしながら、局長に対して「話合いをしよう。郵政局でも闘争中に話合いをしてくれといつてきたことがある。是非話し合つてくれ。」といい、局長が「話合いに応ずるわけにはいかない。無断で入つてきた多数の人と話合いをするわけにはいかない。出て行つて下さい。」といつて退去を求めてもこれに応じて退去することをせず、同三七分頃まで同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

(六)  原告が同月一九日局長室に入室したこと及び原告が退去要求を受けたことは、当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午後二時三〇分すぎ幹部組合員一〇名余りとともに無断で局長室に入室し、室内中央の応接セツトの置いてある附近から局長席を囲むような恰好をとり、そこで局長から直ちに、「無断で入つてきては困る。出て行つて下さい。」と申し渡されたが、これに応ずることもなく、「ノツクをしたから無断ではない。」といい張り、さらに局長が「ノツクをしても、許可なしに入つては無断になるではないか。」と語つて再三「出て行つて下さい。」と退去命令を発したにかかわらず、委細かまわず、「話し合おうといえば断わる。はいつてくれば出て行けという。何もいわずに退去命令をかける。黙つて命令書を突きつける。一体我々を何と心得ているんだ。」とまくし立て、やがて「話し合いしないなら仕様がない。それならば、一二月三日まで何も口きかないぞ、それでもいいのか。」と捨て台詞をいい残して同三八分ごろ出て行つたが、その間局長の執務を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中、右認定に沿わない部分は、採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(七)  原告が同月二〇日局長室あるいは次長室に入室したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午後五時すぎ保険課事務室において、同課員が同月三〇日の特別休暇について同課長の回答を得たい旨申し出て話し合つていた際、会計課勤務の組合員吉田支部長がはいつて同課長のそばにやつてきて同課長から退去命令を受けたが、これに従わず、続いて調査課勤務の組合員工藤も入つてきてやはり退去命令を受けたが、これに従わずにいたところ、同五時一四分頃同室に入つて同課長の席のそばまできたので、同課長から退去を命ぜられたが、これに従わず、さらに同課長の席のすぐ横に腰をおろした。そこで同課長は他課の者がいるなら話は打ち切るといつて話を打ち切り、田島、中村らのこれに対する抗議をよそに席を立ち、保険課事務室を出て、三階の次長室に行つた。そこで次長室において保険課長から右の経緯についての報告を受けた会計課長、庶務課長、次長、局長らが次長室に保険課長を残し、局長室に移つて、なお右の問題について各課長をまじえて協議していたところ、原告は二〇余名の者とともに無断で同室に入り「話の途中で保険課長は逃げたんだ。保険課長はどこへ行つたんだ。」といつて、局長及び庶務課長の退去命令にも応じなかつた。そのうち保険課勤務の組合員千葉が次長室をノツクしたうえ身を乗り入れるようにしてのぞきこみ、保険課長が次長室に在室していることを発見して「ここにいる」という仕草を演じたので、その後やつて来た者も加えた組合員達が次々となだれこむようにして次長室に入り、他方庶務課長、次長そのほかの管理者もこれをみて次長室に入り、まず庶務課長と次長が、「出てくれ」といつて退去を求めたが、これに従うものはなく、遂には原告以下合計約三〇名程の者が次長室に入つてしまつた。そこで原告は、次長席にいる保険課長に対し、「次長席の椅子に坐つているのはおかしいじゃないか。いつから次長になつた。」とか、「なぜ逃げる。」とか大声でどなり、他の組合員達も口口に同じようなことを繰り返して狭い室内を騒然とさせて同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用しない。他に右認定を左右すべき証拠はない。

(八)  原告が同月二三日集配、郵便、貯金、保険、庶務、合計、調査の各課事務室に入室したこと、退去要求を受けたことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午前八時ちよつとすぎ集配課事務室に入り、そこで庶務課長から直ちに口頭で退去を命ぜられたが、これに従わず、郵便課事務室に入つて全逓の中央情勢について話をはじめ、続いて午前八時二五分すぎ貯金課事務室において四、五名の職員を前にして中央情勢について話をし、その際庶務課長から退去を命ぜられたが、これに従わず、ついで二階の保険課事務室に入り、そこで保険課長から退去を命ぜられたが、これに従わず、保険課外勤職員を前にして中央情勢について話をし、続いて庶務課事務室に入室しようとした際、庶務課長が原告に対して、「庶務課に入るな。」といつて制止したが、これを無視してそのまま同事務室に入り、庶務課事務室と会計課事務室の中程にきて前同様中央情勢について話をし、さらに貯金課外勤事務室に入り、その際あとからついていつた庶務課長に向つて、「庶務課長、よく俺のあとついてくるな」などとぶつぶついいながら同室内においても中央情勢の報告を行ない、続いて調査課事務室に入り、その際調査課長が「調査課から退去して下さい。」と退去命令を発したが、これに従わず、中央情勢報告をしはじめ、そこで庶務課長が退去命令書を出して読みかけたところ、そのまま同事務室から退去したが、右のようにして同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、付に右認定を左右すべき証拠はない。

(九)  原告が同月二四日同局職員と局舎内で庁内デモをしたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合するとつぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午後零時四〇分すぎ同局職員約九〇名を指揮して従前同様三列になつて、同局庁舎二階から三階に向かい「簡保転貸反対、簡保転貸反対」などとかけ声かけながらデモ行進を行ない、その際庶務課長、会計課長、次長、佐藤労務連絡官、中島主事らにおいて中止命令を出したが、これに従わず、三階から四階に上り、また三階に降り、やがて局長室前では局長室にデモ隊が入るのを防ぐため庶務課長と労務連絡官がカメラを組んで立ち次長室の前では次長が立つていたのに向かい、「局長に会わせろ」「郵政局長会つて下さい。」「郵政局長出て下さい。」などと叫んだが、特に原告において庶務課長の前三〇センチメートル程の位置からワイワイ叫び、副分会長の松本において「局長出こい。局長、会つて下さい。」といい、デモ隊の者達も右の松本の声に調子を合わせて、「郵政局長会つて下さい。」「局長出てこい。」と叫んで騒然とし、午後一時に及んで同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

(一〇)  原告が昭和三九年四月六日集配課事務室及び貯金課事務室に入室したこと、それぞれ退去要求を受けたこと、倉内貯金課長が小包郵便物の上に尻もちをついたこと、原告が抗議をしたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午前八時すぎ集配課事務室に無断入室して、既に勤務に就いている同課職員に対し、「おはよう、おはよう」と声をかけながら同室内を歩きまわり、その際庶務課長、会計課長、労務連絡官が、原告に対し退去を命じたがこの退去命令に対し、大きな声で、「朝のあいさつぐらいさせてもいいじやないか。」「局長が不在の時に退去命令を出すのはおかしいじやないか。その理由をいえ」といつて、庶務課長や労務連絡官に抗議し、腕組みをしたまま腹で庶務課長や会計課長、佐藤労務連絡官をつぎつぎと押した。そうこうするうち貯金課長も同室にやつてきて原告の傍から声を大きくして原告に対し、「出なさい。」と命じたところ、原告は、「なに」といつて右後方にいた同課長の方に自己の身体をぐるつと回して同課長に正対した上、「理由をいえ」といつて全身で同課長にすり寄つていき、その際腕組みした原告の左肘が同課長のみぞおちに当り、これを避けて後ろへ下がろうと思つた同課長が後ろにあつた小包みに足をとられ、平衡を失つて後ろに弓なりになつて倒れていく姿勢から前へ戻りざまどんと尻餅をついて両手を拡げて小包に腰をかけたような恰好になつた。そこで管理者らが、「それは暴力だ。」「暴力だ。」といつて、手を後ろに拡げるような恰好をして立ち上つてくるや、原告は「何が暴力だ。」といい、貯金課長に対しても、「何が暴力だ。」「あれが暴力か。」「さわつただけじやないか。」「さわつただけでころぶのか、それでも男か。」「猿芝居だ。」などと喚き立てて、作業中の同室内は騒がしくなり、作業中の職員数名が郵便物を持つたまま集まろうとし、あたりはがやがやしてきた。次長が、「何でもない、仕事しよう。」といつて、作業中の職員達がこちらへ来るのを制止した。やがて原告は、「俺は貯金課長に用があるのだ。」といつて同課長と二、三やりとりをしたあと、職員に向かつて、「集配課の皆さん、貯金課長は、中風たかりのようなものだ。ふらふらしている。押しもしないのに押したといつてころんでいる。このざまは何だ。」などといいのこして外へ出、なお玄関ホールの階段下で、「あれを暴力というのか。」といい、貯金課長に「そうだ。」といわれると、さらに「お前らのデツチ上げだ。俺は触つただけだ。」といい、同課長が「何をそんなに気にするんだ。」というと、「気にするとは何だ、この野郎、自分で破れん恥な行為をして恥ずかしくないのか。」と罵り、さらに同課長が「破れん恥とは何だ。」といい返すなどのやりとりがあり、これを耳にした佐藤労務連絡官も「聞き捨てならないことをいう。破れん恥な事は何もやつていない。」といつた。しばらくたつて原告は同八時四〇分頃貯金課事務室に無断入室し、これを目撃した貯金課長が、「入つてはいけない。出て下さい。」と退去を命じたがこれにかまわず、貯金課長の傍の応接用椅子に腰かけ、「昨年は石田事件を起こした。こういうことを何回もやつている。」という意味のことを話し、居合わせた同連絡官に、「あなたが触つたために、貯金課長が転んだのは事実なのだ。」といわれると、「一寸触つただけで暴力だという。猿芝居だ。」といい、また同連絡官に「現場で事実を確認しているのだ。」といわれると、「なに」といつてきつとなり、同課長がすかさず「大きな声を出すな。兎に角出て下さい。」といつてもこれに従わず、かえつて「何故大きな声を出して悪い。人に聞かれて悪いのか。」と居直り、またも「仕事の邪魔になる。何故私の転んだことを気にする。」と同課長にいわれると、「転び方が気にくわない」といい、そこで同課長が、「転び方が気に喰わないとは何だ。人に転ばせておいて一言も謝まらず、転び方が気に喰わないとは驚いたものだ。」というと、「俺に謝まらせてすますつもりか。」と問い返し、同課長が「いや、そんなことは分からない。これで終らせるとはいつていない。」と答えると、「管理者は転ぶことを誰かに指導されているのか。誰だ、指導している奴は。貯金課長は転び役か。」といつて中傷し、同課長がこれに対して返事をせずに繰り返し退去を命じたが、これに従わず、「芝居をやめろ」といいながら椅子から立つて、貯金課長の腰掛けている回転椅子を腹でぐいぐいと押し、勤務中の貯金課員に向かつて声をはりあげて「お早うございます。今朝集配事務室で私の肘が一寸ぶつかつただけで大げさに転んで暴力だと騒いでいる、こんなえげつない課長はいない、兎に角今後貯金課長と並び立つ時は五〇糎以上離れることだ。」とぶちまくつた後同九時五分頃退去したが、その間右のようにして同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用しない。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一一)  原告が同月九日集配課事務室に入室したこと、原告が課長席にあつた新聞を見ていたところ庶務課長らが退去を要求したこと、服務課長が原告に対し「貴様、誰の新聞を読んでいるのだ。」などといつたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同年四月九日午前九時半すぎ集配課事務室に入り、集配課長席の横にある応接用の椅子に腰を掛けて新聞を見ていたところ、庶務課長がこれをみて原告に対し再三口頭で退去命令を出したが、委細かまわず新聞をみ続け、たまたま来局していた仙台郵政局郵務部の角服務課長が「やはりそれは郵便局の新聞なのだから」と口を挟んだところ、「郵便局員が郵便局の新聞を見るのがなぜ悪い。」といい、そこで庶務課長が、原告に対する退去命令を文書で示したところ、右新聞を二つに折つて右退去命令書を支え、その裏にメモをするような様子で右退去命令書をあしらつた。屡次にわたる退去命令に対して原告が右のように無視しているのをみていたことから、角課長が原告に対し語気を強めて「外へ出ろ」というや、原告は、どいと立ち上がり「なんだ。外とはどこか。河原か。」といつて険しく対峠し、角課長がたまたま足でカタカタと音を立てたところ、同課長に対し「なんだ。それは。足をふらつかせて。それはやくざのすることじやないか。」「お前のような者が郵政局の課長か。」「河原へ出るんだつたら出てこい。お前も大きいが、おれも大きいから、つかみ合いなら負けないぞ。」と捲くし立て、約二〇分間にわたつて同局における業務の執行を妨害した。

右のとおり認められ、<証拠省略>中、右認定に沿わない部分は援用せず他に右認定を左右すべき証拠はない。

(一二)  原告が同月一六日郵便課事務室に入室したこと、原告が八幡自動車株式会社従業員休憩室において同社従業員と話をしていたところ局長が退去を要求したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すると次のとおり認めることができる。

原告は、同日午前八時すぎ集配課の休憩室から無断で集配課事務室に入室し、「皆さん、お早うございます。」と挨拶し、その際庶務課長が原告に対し退去を命じたが、これに従わず、郵便課の一隅に被服箱を並べて一角を画して休憩室とし、かねて運送請負をしている八幡自動車の職員が休憩することをも事実上黙認していた場所に入つて八幡自動車の従業員と話をしていたところ、局長から「出て行つて下さい。」と退去を命ぜられるや、局長に向つて「出て行けとは何だ。お前に関係ない。」「ここは八幡自動車に貸しているのだから、局長には関係ないのだ。何もあなた方がここへ来て退去命令を出す必要はないじやないか。出て行けとは一たい何だ。」と詰め寄り、これに対して局長が「管理権は持つている。郵便課の一室をなしているのだ。出て行つてください。」といつて重ねて退去を命ずるや、「出て行けとは何だ。お前こそ出て行け。」「ここは八幡自動車に貸してあるんだから、局長は掌握官じやないんだ。」などと捲くし立て、手をポケツトに入れ、その体を局長の体にくつつけ、腹を突き出して局長を押し、局長が「押してくるな。」というと、「押していない。」といいながら、ますます押していき、局長が押されながらも「出て下さい。」「局長の権限において出て下さい。」と強く退去を求めるや「その理由をいえ。ここは八幡自動車に貸してある部屋じやないのか。お前の権限の及ばないところだ。」といつて頑として局長の命令に従わず、なおも腕組みをして局長の体をどんどん腹で押していつたうえ「お前こそ出て行け。出るのか出ないのか。」と局長に迫り、ついに局長が被服箱のところまで押しつけられ苦しくなつてきて、もう相手にしてもどうにもならないと思い、出てから何とか措置を講じようと考え「それならば私は出る。押さないでくれ。」といつてそれまで約一三分間に及んで押され続けていた窮境から人をかきわけながら休憩室を脱出したところ、やがて同八時四二分頃ようやく退去したが、かようにして同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(一三)  原告が、昭和三八年一二月一五日から同月一八日まで同月二一日、二二日、二五日、二六日及び同三九年四月一六日の各日に同局に入局したことは当事者に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>と弁論の全趣旨を総合すると、原告は、同年一二月二六日を除くその余の右各日に、同局内の事務室に入室し、管理者から退去を命ぜられながら、これに従わず、同局内を徘徊したことを認めることができる。右認定を左右するに足る証拠はない。同月二六日については、被告主張事実を認めるに足りる証拠がない。

2  大船渡郵便局関係

(一)(1)  原告が昭和三九年三月一三日庶務会計室に入室したこと、退去を要求されたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると次のとおり認めることができる。

原告は、同日午後雰時すぎ庶務会計室に無断入室し、これにより庶務会計長から退去を命ぜられたが、かえつて同人に対して「いつ俺がオルグをしたんだ。ごちやごちやいうな。」などと言い掛りをつけた。右のとおり認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(2) 原告が同日庶務会計室に入室したこと、退去を要求されたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実、<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、同日午後三時一五分頃庶務会計室に無断入室し、庶務会計長がただちに原告に対して退去を命じたが、右退去命令に従わず、かえつて「同じことを何回もごちやごちやいうな。」といつて机に向い、何か読み続けながら約二〇分間同室から退去を肯んせず、同局における業務の執行を妨害したことが認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(3) 原告が同日郵便課事務室に入室したこと、退去の要求を受けたことは、当事者間に争いがなく、

右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、同日午後四時一九分頃原告は郵便課事務室に無断入室し、郵便課長から退去を命ぜられたがこれに従わないで午後四時二五分ごろまで滞留したことが認められる。右認定を左右するに足る証拠はない。

(4) 原告が同日庶務会計室に、同局職員多数とともに入室したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合するとつぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午後七時頃職員約四〇名とともにどやどやと庶務会計室に無断入室し、同行の職員において庶務会計長の前後を取り囲み、原告において庶務会計長のすぐ傍に立つて「局長帰つたか。」としきりに尋ねたが、庶務会計長が当初はこれに答えないで原告に対して「私は今仕事をしている。仕事の邪魔になるから出て行つてくれ。」といつたりしながらも、原告から執拗に「局長は帰つたのか。帰つたのか、帰らないのか。」と数回繰り返されて「帰つた。」と答えたところ、さらに「郵政局から来た奴も帰つたか。」と尋ねられて「帰つた。」と返事するや、「本当か。」と念を押したうえ、同会計長に向かい、「それではお前にいつておきたいことがある。」と前置きして、「お前は一たい誰の命令で、毎日郵便の外勤室をうろうろしているんだ。お前に命令した奴の名前をいえ。やつつけてやるから名前をいえ。」と再三迫つたが、同会計長が「そういうことに対しては答えられない。」といつて答えなかつた。そこで、原告は「お前が毎日このような職場でいやがらせをするならば、お前の家族に対してもいやがらせをするがいいか。」とおどし、庶務会計長が返答をしないとみると「いつたいお前はおしか。この馬鹿野郎」と繰り返して悪口を浴びせ、なおも執拗に、「おい、何とか返事をしろ」「お前はいくら偉いんだ。たかが会計長じやないか。」と続け、これに同調して同行の職員達も口口に「おい、何とか返事をしたらどうか。返事すれば気が楽になるんだから返事をしたらどうだ。」としきりに迫り、やがて隣室である局長室の電話のベルが鳴つたので、庶務会計長が電話に出ようとしたところ、原告において「返事をしてから立て、返事をしてから電話にかかれ」「電話にかかれる位なら、お前は声が出る筈だ。」「黙つてないで返事をしろ。」などといつて同会計長の前に立ち塞がり、同会計長が「電話に出なければならないのでよけてくれ。」といつて前に進もうとすると、両手をポケツトに入れたまま、同会計長が右に行けば右、左に行けば左に行つてその進路を塞いで右電話のベルが鳴り止むまで同会計長が電話に出られないように妨害し、さらに引き続き「何とか返事をしろ。」と執拗に迫つた。間もなく同会計長のすぐ机の前にある電話機のベルが鳴つたので同会計長が電話に出たところ、当時同局に臨局していた仙台郵政局人事部管理課佐藤課長補佐からの電話で「いま局長室に電話したところ不在であつたが、一たい何があつたのか。みんながそこにいるのか。」と尋ねられ、「はい」と返事をし、続いて、同補佐の「今行くから。」とのことばに対して「こちらから連絡する。」といつて電話をきつたところ、原告はまたもや「お前は声が出るんじやないか。何とか返事をしろ。」「電話にかかれる位ならば、返事ができるはずだから何とか返事をしろ。」としきりに同会計長に迫つたが、「そういうことに対しては、一切答えられない。」といつて拒否されるや、同会計長に対して「この馬鹿野郎はみかけによらないとんでもない悪者だ。」「お前がどの位偉くなつたつもりでいるんだ。」「返事をしろ。」「一体お前は唖か。」などと怒鳴り立て、右同行の職員も原告に同じ「おい何とか返事をしたらどうだ。」「お前は唖か。」「返事をしろ。」と繰り返し、さらに原告において「こいつはここで執務している職員以外には、あしたから口をきかないそうだ。よくみんな覚えておけ。」「お前に対しては、あしたから宣戦布告だ。」などとひとり捲くし立てて、同局における業務の執行を妨害した。右のとおり認められる。<証拠省略>中右認定に沿わない部分は援用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(5) <証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、職員約四〇名の一団とともに、同日午後七時二七分頃郵便現業室において、文書起案のため郵便課長席にいた同課長を取り囲み、「こら、郵便課長、お前毎日外勤事務室に行つて何をやつているんだ。」と因縁をつけ、同課長及び庶務会計長の口頭による退去命令及び解散命令に従わず、さらに郵便課長に対し、「お前はいつからつんぼになつたのだ。」といい、右同行の職員らにおいても「郵便課長、今日に限つてなぜ話をしないのだ。」といつてしきりに同課長の返答を強要し、やがて同日午後七時三〇分頃庶務会計長が解散命令を発した際原告において一たん外へ出たが、ほどなく再び郵便課事務室に入つてきて、貯金課長に対して「貯金課長帰れ。俺があたるからどけ。」といつて同課長が腰をかけていた椅子を身体で押しながら「てめえはさつき何を書いていたんだ。君のような者は来なくていいから帰つて寝ろ。」と言い放ち、再び郵便課長の方へ行き、同課長に対して「この馬鹿野郎」「あすから宣戦布告だ。」と捲くし立て、庶務会計長が解散命令を発するや、同会計長及び郵便課長に対して、「何をこの馬鹿野郎」と喚き立てて、同局における業務の執行を妨害したことが認められる。<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(二)  原告が同月二一日休憩室、局長室にそれぞれ入室したこと、退去要求を受けたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実、<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、同日午後四時五〇分頃同局二階の会議室兼休憩室に無断で入り、仙台郵政局貯金部松隈管理課長及び庶務会計長がこれを目撃して原告に対し、退去命令を発すると、「よし、出て行く。」といつて先に出て行つたが、まつすぐ局長室に無断入室して、局長の前にある応接用の丸テーブルの前の角椅子に腰を下ろしたうえ、原告の無断入室のあとをつけた松隈管理課長に対し、「お前何しにきているんだ。盛岡ではずいぶん悪いことをしたそうじやないか。」といい、同課長がこれに答えず、庶務会計長とこもごも十数回にわたつて、直ちに局長室から退去するよう命じたが、これを無視してなおも「お前何のための用事できたんだ、」「相当あくどいことをやつているそうではないか、」「こんなことをやつたんでは貯金の募集なんかできるもんじやない。お前が帰つたら仕返しをしてやる。」などと申し向けておどしたりして、同日午後五時一五分頃まで局長室に滞留して、同局における業務の執行を妨害したことが認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(三)(1)  原告が同月二四日佐藤広一らと共に局長室に入室したこと、原告が局長らに対しほぼ被告主張のとおり述べて抗議したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実、<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、同日午後零時四五分頃、その先頭となつて組合員約九名とともに局長室に無断で入り、折から在室していた局長、庶務会計長、仙台郵政局貯金部調査課長及び木下課長に対し、「あの調査は何のためにしたのか。」「雨が降れば家に寄つて着替えるのは当然じやないか。老人や女子供のところで、郵便課長お前が判を押させただろう。」「春闘が終つたならば思い知らせてやる。」「国会の法務委員会に呼んで結着をつけてやるからな。」「おい、郵便課長、お前は遠いところから配達しろといつたんだろう。あの日は雨が降つていて、着替えるのは当然だ。あの場所は遠いので、お前もわかつているはずだ。あの地域は七時間二〇分では配達できないところだ。」「今朝の朝日新聞を読んだが、お前たちのデツチあげだろう。郵政局に電話してあれを取り消せ。」などと執拗に迫り、約一五分間にわたつて同局における業務の執行を妨害したことが認められ、<証拠省略>中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(2) 原告が庶務会計室に入室したこと、工藤事務官から退去を求められたことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

原告は、同日午後一時半頃無断で庶務会計室にはいり、その際原告の無断入室を見かけた庶務会計長から退去を命じられたが、これに従わず、「分会長と雑談する位いいではないか。」といつて居直り、そこで同会計長が文書にした退去命令書を読みあげて交付しようとし、また折から臨局していた仙台郵政局人事部の工藤事務官が原告に対して「きこえたろう。」というや「何をこのなまいきな、この野郎、お前は誰だ。」といつて、両手をポケツトに突つ込み、腹で同事務官にぶつかり、同事務官から「暴力だ。」といわれるや、さらに「何が暴力だ。この野郎。」「お前は若僧だ。俺の後輩じやないか。」などと暴言を吐きながら、また腹で同事務官を何度も押し続けて同局における業務の執行を妨害したことが認められ、<証拠省略>中、右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

3  以上の認定事実によれば、原告は、昭和三八年一二月九日頃から同月二六日頃までの間盛岡郵便局において、昭和三九年三月一三日頃から同年四月一七日頃までの間盛岡郵便局及び大船渡郵便局において、無断で庁舎内に入り込み、当局の再三にわたる退去要求を無視して各職場を徘徊し、ときに多数の組合員を指揮して庁舎内における集団示威行進を敢行し、ときに単独で、又は集団の威力を示しつつ管理者に対して執拗かつ強硬に話合いを要求し、ときに罵言雑言を浴びせ、又は暴力的振舞いに及んで管理者の執務を妨げ、よつてその局の業務の執行を妨害し、かつ、職場の秩序を紊乱したことが明らかである。

4  原告は、庁内デモについて「全逓盛岡地方支部の責任と指導のもとにおこなわれたものであり、ただ原告はこれに参加したにすぎず、しかも勤務時間終了後ごく短時間行つたもので、業務の運行に支障はなく、労働監視の中止を求める団体交渉を当局側が拒否していることに対するやむを得ない抗議行動として平静に行われたものである。」と主張し、局長室への入室について「当局側が組合との交渉に全然応じないので、やむを得ず局長室に立ち入つて交渉を要求したものであるし、在室時間も僅かなものであるから非難に値しない。」と主張し、原告の事務室立入りについて「当局の監視や違法・不当な業務命令に対するいわゆる逆監視と抗議のためあるいは組合員に対する挨拶や連絡のためであるが、管理者に対しては、その違法・不当な発言や措置に対し抗議をしたまでであり、組合員に対しては、極めて短時間話したまでであつて、いずれも何ら業務の支障は起きていない。」と主張し、結局「本件懲戒免職処分は、入局、入室、団体交渉の申入れ、管理者の違法不当な行為に対する抗議、管理職の労働監視に対する逆監視などの正当な組合活動を違法視するか、あるいは個々の組合活動を違法と断ずる当局側とこれを正当と主張する組合側の見解に基づくトラブルの責任を問うもので、被告が処分事由として主張するところは、いずれも国公法九九条に違反せず、同法八二条一号、三号に該当しない。」と主張する。

しかしながら、原告の右主張がいずれも理由のないことは、すでに認定したところによつて明らかであるが、さらに補足してみることとする。

(一)  全逓は、昭和三八年末いわゆる簡保転債間題を中心とする諸要求を掲げて年末闘争を行ない、そこで全逓の各下部機関が中央本部の指令に基づき同年一二月一日以降全国的に闘争状態に入つていわゆる三六協定締結を拒否したほか、庁内デモ・集団交渉を行なつた。

(二)  盛岡郵便局の職員で全逓の組合員たる者は、全逓盛岡地方支部に所属し、盛岡市内の無集配郵便局、逓信診療所の組合員とともに盛岡分会を構成していたが、右闘争では盛岡郵便局に在籍する支部役員、分会役員を構成員とする闘争委員会が盛岡郵便局における闘争を統括し指導した。そこで、当局は、同年一二月九日仙台郵政局から数名の職員を盛岡郵便局に臨局させ、全逓のいわゆるオルグの入局、入室の阻止等に努めた。

右(一)及び(二)の事実は当事者間に争いがない。

(三)  右(一)、(二)の認定事実に、<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

(1) 全逓は、三六協定を無協約とした上闘争状態に入り、一二月一日から職場の要求活動、職場要求の解決行動を一斉に起こすこととし、その下部機関においてそれぞれ決定した具体的な闘争方針により実効を挙げるため、郵便局の業務遂行について発せられている規則、規程、通達等を文字どおり墨守し、平素の能率を低下させて郵便物の停滞を来たさせることを狙つたいわゆる業務規制闘争ないし順法闘争戦術を展開し、重量の制限順守、各種取扱規程の順守、非常勤職員に対する非協力、坐込み等を実施する一方、いわゆるオルグの派遣、職員の欠務、交渉要求のための集団行動、戦術としての年次有給休暇付与申請等をも実行した。これに対し、当局は、オルグの入局により共同謀議や闘争の実践が行われることとなる一方、今回の闘争がいわゆる「物だめ」戦術にはじまる業務阻害を前提とするものであり、たとえば集団交渉なるものは結局管理者を「籠詰」にすることにより管理者の管理業務がそこなわれて業務阻害を惹起するし、庁内デモが行われると、庁内の秩序が乱れ、管理者がその秩序の回復に手をとられて管理業務がおろそかになり、職員の能率が低下する等の影響を生ずることとなるので、これに対処するため、滞留郵便物の増加した局には地方郵政局の職員を派遣し、組合オルグの不法人局を阻止し、理由なくして欠務した者に対しては賃金カツトを行なうこととし、また戦術として年次有給休暇の付与を申請する者に対しては、業務に支障を来たす場合には、これを付与しないこととし、週休日であつても、業務運営上やむを得ない場合に限り、これを他日に付与することとし、担務関係についても右と同趣旨の見地からこれを変更させることとした。

(2) 右昭和三八年の年末闘争に際し、盛岡郵便局がいわゆる拠点局に指定され、原告が全逓盛岡地区本部からは盛岡地方支部及び盛岡分会に派遣されて盛岡郵便局庁舎内にある全逓盛岡地区本部の組合事務所で組合業務にたずさわるかたわら前記闘争委員会の構成員に加わつて闘争の指導に当たつた。

すなわち、原告は、盛岡郵便局において、職員の勤務時間中であるにもかかわらず、その禁を破つてあえて庁舎内事務室等に立ち入つた上、勤務に従事している同局職員に対し、いわゆるオルグ活動として、随所に発言し、組合員たる職員に対しては中央の労働状勢を報告し、その士気を鼓舞、激励して闘争意欲を高揚させることなどの闘争活動を執拗、強力かつ活発に展開した。

これに対し、当局は、一方右闘争によつて生ずる郵便業務の乱れに対処し、業務の正常運営を確保するため、業務を指導し局長の相談相手となり、その職務の遂行を補助すべく、仙台郵政局から係官を派遣し、右係官と盛岡郵便局の管理者において、職員の勤務状況を把握するため、随時事務室に立ち入つて巡回するとともに、原告の事務室内への立入りを禁止し、これに従わないで事務室に立ち入つた場合は、すかさずその退去を命ずる一方、同局職員に対しては、郵便物滞留を企図したいわゆる「物だめ」戦術に対抗するため、ある場合には一日中郵便物の区分を行わせ、ある場合には配達のみに従事させ、配達順路を変更し、更に非常勤職員に対する指導を命ずる業務命令を発するなどして柔軟に対応しながら、戦術的な有給休暇付与申請をする者に対しては、業務に支障を生ずる場合にはこれを付与しないこととし、また週休日についても業務運営上やむを得ない場合に限りこれを他日に付与することとし、担務関係についても右と同趣旨の見地からこれを変更する措置をとり、更に当局の許可を得ないで組合掲示板に掲示された組合掲示物については、その撤去を求め、組合においてこれに応じない場合には自らこれを撤去し、いわゆる集団交渉の要求や他課の職員を加えた課長との話合要求は拒否する方針で対処した。

(四)  大船渡郵便局に勤務する職員五〇名余が全逓気仙地方支部に所属し、同支部大船渡分会を組織していたこと、全逓が昭和三九年春賃上げ等を要求して闘争体制に入るや当局が大船渡郵便局に仙台郵政局から数名の職員を臨局せしめ、全逓のいわゆるオルグ活動に従事して同局に入局入室する者に対して退去命令を発したことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に、<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、つぎのとおり認めることができる。

全逓は、昭和三九年一月二一日に同年の春闘を半日ストの戦術行使によつて闘いぬくと決した旨の中央委員会宣言を発したが、同年二月二六日以降全逓と郵政省との間はいわゆる三六協定無協約の状態となり、同年三月一〇日頃から緊迫の様相を呈し、いわゆる順法闘争ないし業務規制闘争が実施されて、郵便物の滞留も日を追つて増加した。当局は、右闘争に対して強い姿勢で臨み、組合の集団交渉の申入れや課員以外の者を交えた課長との話合いの申入れは拒否し、また組合が当局の許可を得ないで組合掲示板に掲示をしたものは、当局の撤去要求に応じないときは、当局においてこれを撤去した。原告は、右春闘に際しては、大船渡、水沢、一の関各郵便局担当のオルグとなり、問題の発生するつど必要に応じて大船渡郵便局に臨み、分会の闘争指導に当たつていたし、しかも盛岡郵便局担当のオルグではなかつたが、全逓盛岡地区本部の組合事務所が盛岡郵便局内に置かれていたこともあつて、しばしば同局内に出入りして事実上オルグ活動に挺身していた。右のとおり認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

(五)(1)  原告は本件闘争に際しておこなわれたいわゆる庁内デモをすべて事実上指揮し、指導したものであつて、単にこれに参加したにすぎないものではないことがすでに認定したところにより明らかである。かりに庁内デモの実施が通常の勤務時間後の極く短時間であつたとしても、組合員の士気ないし闘志を鼓舞昂揚し、これにあわせて組合の当局に対する抗議の表現活動をおこなうためとはいえ、郵政職員の職務執行の場である局舎内で集団示威行進をおこなうこと自体常軌を逸した所為というのほかはなく、管理者から度々中止を命ぜられたにもかかわらず、これを無視したばかりか、昭和三八年一二月二四日の庁内デモを除き、その余の庁内デモにあつては、デモの余勢を駆つて無断で局長室に雪崩込んでいるのであるから、これらのデモが庁舎管理体制上の秩序を紊して管理者の円滑な職務の遂行を阻害したことは疑いの余地がなく、到底是認されない筋合のものというべきである。

(2) 原告の局長室への前記入室は、いずれもそれに至る経緯と入室後の経過をみれば、いずれも局長の都合や時と場合、手順などに一切かまわず、組合のオルグとして多数の組合員の先頭に立ち組合員とともに集団的に押しかけ乱入したものであるから、およそ団体交渉の要求は名目ばかりのことで、実際はいわゆる大衆団交ないし集団抗議を行なうためのものであり、しかも局長室においては、局長その他の管理者の再三の退去命令にも従わないで室内に滞留し続けたのであるから、その在室時間が比較的短時間だつたとしても、本件局長室立入行為を正当化しうるものではありえない。

(3) 本件において、当局側の管理者に違法不当な行為があつたことを認めるに足りる証拠はない(もつとも昭和三九年四月九日における角課長の「貴様云々」の発言は、如何にも隠当を欠くものといわねばならないが、これに対する原告の対応ぶりを正当ならしめる程に不当であつたということはできない。)。また郵政当局の管理者が職員の勤務状態をできる限り正確に把握し、これを管理、監督するのは、その職責上当然のことであるから職員の執務に対する管理者の監督作用に拮抗して、全逓のいわゆる逆監視なるものを職員の執務の場でおこなわせる余地はもとよりありえないし、原告のいう逆監視は国の経営する郵政事業の業務執行に対する不当介入以外のなにものでもなく、そのような思い上りも甚しい戦術こそ真先に糾弾されるべきものといわなければならない。原告の前記各所為の組合活動の正当性の主張はいずれも採用のかぎりでない。

5  以上の次第であるから、前記二、1、(一)から(一三)まで、2、(一)から(三)までに掲げる原告の各所為は、いずれも、原告の職務関係を離れた行為であるが、国の経営する郵政事業に勤務する職員として、その官職の信用を傷つけ、官職全体の不名誉となるような行為をしたものというべく、したがつて、原告は右各所為により国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号、三号に該当するものといわねばならない。

三  原告は、本件免職処分は懲戒権を濫用したものである旨主張する。

しかしながら、<証拠省略>までの記載に弁論の全趣旨をあわせると、原告は、過去においても国家公務員法に触れる非違行為をおかし、昭和三四年一月二四日付で三月間俸給の月額の一〇分の一を減給する旨の懲戒処分を受け、昭和三五年一,月二八日付けで三月間停職する旨の懲戒処分を受け、同年七月六日付けで一月間俸給の月額の一〇分の一を減給する旨の懲戒処分を受け、昭和三六年四月一〇日付けで一月間停職する旨の懲戒処分を受け、昭和三八年四月三〇日付けで二月間停職する旨の懲戒処分を受け、そのつど将来を厳重に戒められていたことが認められるところ、それにもかかわらず、前記認定のかずかずの非違行為を重ねたものであつて、本件非違行為の原因、動機、態様、状況、結果等の諸事情及びこれら非違行為とこれに対する懲戒処分が他の職員及び社会一般に及ぼす影響等諸般の事情を総合して考えると、懲戒免職処分の選択に当たつては、特別に慎重な配慮を要することを考慮しても、なお被告が原告に対して本件非違行為につき免職処分を相当とした判断が合理性を欠くものと断ずることはできない。したがつて、本件懲戒免職処分をもつて被告がその裁量の範囲を超えてなした違法なものとすることはできない。

四  原告は、本件免職処分は不当労働行為に該当すると主張するけれども、本件免職処分の原因たる懲戒事由該当の非違行為の存在すること及び本件免職処分の相当であることについては既に述べたとおりであるから、本件免職処分についていわゆる不当労働行為の成立する余地はさらにないというべきである。

もつとも、被告は、原告の右不当労働行為主張は本訴において許されない旨を主張するけれども、そのように解すべきいわれはない(最高裁昭和四六年(行ツ)第一四号、昭和四九年七月一九日第二小法廷判決、昭和四三年(行ツ)第四四号昭和四九年九月二日第一小法廷判決参照)。

五  以上のとおり本件懲戒免職処分は、その効力を是認すべきものであるから、本件処分の取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないのでこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中川幹郎 仙田富士夫 本田恭一)

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